メールニュース連載~夢洲から~
夢洲から描く大阪湾の自然再興
当グループでは、これまで夢洲の生物多様性ホットスポット(特に多様な鳥類の生息環境)を保全・創出するための働きかけを大阪市や博覧会協会等に対して行ってきました。しかし、万博の環境影響評価(アセスメント)に基づく対策は不十分であり、万博協会から大阪市に土地が変換される2028年には「夢洲まちづくり構想・基本方針」およびマスタープランに基づき、貴重な環境がすべて開発される計画となっています。
私たちは、こうした夢洲の現状に対する働きかけを止めず、さらに一歩進めて「大阪湾全体へのネイチャーポジティブ(自然再興)」を求めていく活動を、今後も継続していきたいと考えています。
これまでの私たちの活動と夢洲・大阪湾の真実を皆さまに知っていただくため、本メールニュースにて「夢洲から描く大阪湾の自然再興」を7月号から11月号にかけてお届けします。私たちが日々活動の舞台としている大阪湾の本質を、歴史と生態系の両面から見つめ直すきっかけになれば幸いです。
第1回:大阪湾のなりたちと歴史、かつての原風景をたどる
1. 古地図が語る大阪湾の原風景
現在の大阪湾は、コンクリートの岸壁や巨大な人工島、効率化された港湾施設が立ち並ぶ近代的な都市海域の姿をしています。しかし、ほんの数百年前、さらには古代にまで時計の針を巻き戻すと、そこには今からは想像もつかないほど豊かでダイナミックな「いのちの海」が広がっていました。
古代の大阪湾は、万葉集にも詠まれた「住吉浦(すみよしのうら)」に代表されるように、美しい白砂青松の砂浜と、どこまでも続く広大な干潟を持つ場所でした。淀川や大和川といった大河川が運ぶ大量の土砂と栄養塩は、湾奥部に広大な汽水域を形成し、現在の大阪平野の多くは「河内湖(かわちこ)」と呼ばれる広大な水面として大阪湾と繋がっていたのです。この淡水と海水が複雑に混ざり合う汽水空間こそが、無数の魚介類や渡り鳥を育む生命の揺りかごでした。
2. 新田開発と海との共生
江戸時代に入ると、人口の増加や経済の発展に伴い、淀川下流域や湾奥部で大規模な「新田開発」が始まります。人々は浅瀬をせき止め、海を陸地へと変えていきました。一見すると自然破壊の始まりのようにも思えますが、当時の開発は現代のコンクリート埋め立てとは大きく異なっていました。
石積みや土手によって拓かれた新田の周囲には、無数の掘割(ほりわり)や水路が巡らされ、そこは新たな汽水生態系として機能しました。茅(かや)や葦(あし)が群生する水辺には魚が産卵に訪れ、それを目当てに多くの水鳥が飛来したのです。人々は浅瀬の恵みを受け取りながら、自然の循環の仕組みの中で絶妙なバランスを保ちつつ、海と共に生きていました。
・古代(原風景の時代): 河内湖と繋がり、広大な干潟と汽水域が生命を無限に育んだ時代。
・江戸~明治(共生の時代): 新田開発により地形は変化しつつも、水路や豊かな茅原が生きもののネットワークを残した時代。
・昭和~現代(喪失の時代): 高度経済成長期以降の急速な垂直護岸化と大規模埋め立てにより、干潟の9割以上が消失した時代。

3. 失われた「住吉浦」の面影を求めて
明治以降、そして昭和の高度経済成長期を経て、大阪湾の風景は一変します。近代工業の発展と港湾機能の強化のため、かつてのなだらかな砂浜や干潟は、垂直に切り立ったコンクリート護岸へと姿を変え、浅瀬は次々と埋め立てられていきました。その結果、大阪湾が本来持っていた高い水質浄化能力や、生物の生息適地は急激に失われることとなります。
私たちが今直面している環境問題や、夢洲をめぐる保全の議論は、この「失われた歴史」の延長線上にあります。かつて存在した豊かな住吉浦の原風景を知ることは、単なる懐古主義ではありません。それは、私たちが2030年、そしてその先に向けて、大阪湾にどのような自然を再生していくべきかという「未来の設計図(自然再興のロードマップ)」を描くための、極めて重要な道標なのです。
次回の8月号では、埋立地でありながら皮肉にも「生命のオアシス」となった夢洲の現状と、世界を繋ぐ渡り鳥たちの物語へ迫ります。どうぞお楽しみに。
ーー下の写真は、2019年11月の夢洲。ラムサール条約登録基準の3000羽を優に超える「ホシハジロ」が滞在していたーー

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また、現在はまだ構想段階ですが、「夢洲と大阪湾のネイチャーポジティブ」を具体化するためのワークショップを計画しています。みなさまからのアイデアやご意見を広く募集しています。























